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釈浄華の願いを受け継ぐ。

午後5時より正法寺本堂でお通夜。

正法寺坊守のお母様のお通夜です。

 




 日が落ちる少し前の時間ですが三月になるとあたりは明るくなっています。

小さなお通夜ですが、お参りされている人のつながりが感じられ、温かさが

広がっていきます。


 住職の読経。








 お通夜そしてお葬式等の仏事は、自分もやがては死んで、お通夜を執り行われる側になるという無常の現実を直視しさせられます。限られた人生、何のために生きるのか、考えてみる大事な自分との出会いの場でもあります。亡くなられた方を通して自分の無常と、生きる意味を見つめて、聞法のご縁とするものと教えられてきました。

 住職の法話を聞きながら、亡くなられた方を通して、我が身の無常を見つめ、親鸞聖人の教えを聞かせて頂くご縁とすると父の言葉を思い出します。

 本堂には、釈浄華、浜田幸子様の遺影が掲げられています。また遺影とともに遺品の茶道具や華器が、私たちにいかに生きるべきかを語りかけてきます。

 





そして次の日は、 花冷えの日となりました。




3月3日は、法名釈浄華のお葬式。

春の輝くような陽射しが正法寺境内に降り注いでいます。

花が終わった梅の枝に朱色の幼葉が芽吹いています


午後1時より開式。

境内には、春の花が咲き始めています。

茶花である貝母(ばいも)も。







釈浄華の法名は、身の回りの花々を幸子様が拈華微笑(ねんげ・みしょう)と受け止めて生きてこられた姿を現すものでしょう。それはまた利休居士の「茶花は野にあるように」の言葉と重なるように思えます。法名の名告りを私たちの進むべき道を示す言葉として受け止めたいと思うことです。



 境内で遊ぶ蓮華ちゃん。ここにバトンを受け継いでいく「いのち」があります。


「前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは

前を訪(とぶら)へ、連続無窮(むぐう)にして、願はくは

休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す。

無辺(むへん)の生死海(しょうじかい)を尽(つく)さんがためのゆゑなり」




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