top of page

総々代の宮澄様のお話を聞く。

 宮尾橋から坂道を登ると正法寺の総々代である宮澄安一さんの家があります。

宮澄様は、現在87歳。町会議員等の多くの公的役職もしてきておられます。。

数年前に奥様を亡くされ、一人で暮らしておられますが、庭の植木がきちんと剪定され,また家の中も整理整頓がされています。








「草が生えたり、植木の枝が伸びたりすると,気になるもんでね。」と語られ、自分で剪定や草刈り、家の内外の掃除等もこなされています。日々の生活は規則正しく、自分で食事も作っておられ、また外に出ることも好まれ、

コンビニ等にも出かけ「店員とも気軽に話をする」とも。

 頭脳明晰、物事を的確に判断し、正法寺の総々代として必要な時は助言を私たちにしてくださっています。日頃は、柔和な笑顔で周りの人に接しておられ,正法寺の諸活動に参加していただいています。


 また特筆すべきこととして、宮澄安一様は、竜野の歴史に造詣が深く、文化財の由来成り立ちについて深い知識を有しておられます。

 先日、宮澄家の先の一段高いところに宮尾観音堂の馬頭観世音菩薩についてお話を伺いに行きました。









 観音堂は木造瓦葺きで南向きに建てられており、間口3ⅿ 奥行4ⅿのお堂です。堂内の本尊は、木造観音菩薩立像(約30㎝)で、地元では、「馬頭観音さん」と呼ばれてます。

 宮澄安一さんによると、甲佐岳の福城寺境内の堂内に安置されている馬頭観音像は、牛馬安全の守護仏として広く信仰をあつめており、毎年1月18日は、夜明け前から、近郷近在の多くの畜産家が参詣していたそうです。







 宮尾の馬頭観世音菩薩は、その福城寺から明治初めに宮尾に伝えられたそうです。また宮澄さんの曾祖父の宮澄幸平様が奉納された欄間に白毛馬と栗毛馬が天に向かって躍動している姿の絵馬があったとのことです。残念ながら絵馬は色があせてしまい、古くなって朽ちてしまっている、とのことでした。

 また明治30年代宮尾で大火災が起こり家々はことごとく燃え尽き、観音堂だけが残っり,信仰がより深まったたと言い伝えられています。

 今日も、私の質問等に遠い昔のことを思い出しながら、語られるお人柄や生活態度に私たちの良き先達として学びたいし、私もこうありたいと思うことでした。



Comments


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page