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総々代の宮柄様のお話を聞く。

 宮尟橋から坂道を登るず正法寺の総々代である宮柄安䞀さんの家がありたす。

宮柄様は、珟圚歳。町䌚議員等の倚くの公的圹職もしおきおおられたす。。

数幎前に奥様を亡くされ、䞀人で暮らしおおられたすが、庭の怍朚がきちんず剪定されたた家の䞭も敎理敎頓がされおいたす。








「草が生えたり、怍朚の枝が䌞びたりするず気になるもんでね。」ず語られ、自分で剪定や草刈り、家の内倖の掃陀等もこなされおいたす。日々の生掻は芏則正しく、自分で食事も䜜っおおられ、たた倖に出るこずも奜たれ、

コンビニ等にも出かけ「店員ずも気軜に話をする」ずも。

 頭脳明晰、物事を的確に刀断し、正法寺の総々代ずしお必芁な時は助蚀を私たちにしおくださっおいたす。日頃は、柔和な笑顔で呚りの人に接しおおられ正法寺の諞掻動に参加しおいただいおいたす。


 たた特筆すべきこずずしお、宮柄安䞀様は、竜野の歎史に造詣が深く、文化財の由来成り立ちに぀いお深い知識を有しおおられたす。

 先日、宮柄家の先の䞀段高いずころに宮尟芳音堂の銬頭芳䞖音菩薩に぀いおお話を䌺いに行きたした。









 芳音堂は朚造瓊葺きで南向きに建おられおおり、間口ⅿ 奥行ⅿのお堂です。堂内の本尊は、朚造芳音菩薩立像玄㎝で、地元では、「銬頭芳音さん」ず呌ばれおたす。

 宮柄安䞀さんによるず、甲䜐岳の犏城寺境内の堂内に安眮されおいる銬頭芳音像は、牛銬安党の守護仏ずしお広く信仰をあ぀めおおり、毎幎月日は、倜明け前から、近郷近圚の倚くの畜産家が参詣しおいたそうです。







 宮尟の銬頭芳䞖音菩薩は、その犏城寺から明治初めに宮尟に䌝えられたそうです。たた宮柄さんの曟祖父の宮柄幞平様が奉玍された欄間に癜毛銬ず栗毛銬が倩に向かっお躍動しおいる姿の絵銬があったずのこずです。残念ながら絵銬は色があせおしたい、叀くなっお朜ちおしたっおいる、ずのこずでした。

 たた明治幎代宮尟で倧火灜が起こり家々はこずごずく燃え尜き、芳音堂だけが残っり信仰がより深たったたず蚀い䌝えられおいたす。

 今日も、私の質問等に遠い昔のこずを思い出しながら、語られるお人柄や生掻態床に私たちの良き先達ずしお孊びたいし、私もこうありたいず思うこずでした。



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